一揆の黒幕として疑われることもありましたが、許されて木村吉清に代わり葛西大崎旧領に入ります。
天 正十九年秋、仙道、長井の本領を没収されることで居を玉造郡岩出山に移します。
文禄の朝鮮の役に従いました。
文禄四年 (一五九五)、関白秀次事件に連座した疑いで再度、秀吉の詰問を受けた力辛くも危機を脱します。
慶長二年(一五九七)従四位下、右近衛少 将叙任。
かねてより徳川家康と親しく、慶長四年、長女五郎八姫と家康六男松平忠輝の婚儀が成り、完全に徳川氏摩下に属しました。
天 正十九年秋、仙道、長井の本領を没収されることで居を玉造郡岩出山に移します。
文禄の朝鮮の役に従いました。
文禄四年 (一五九五)、関白秀次事件に連座した疑いで再度、秀吉の詰問を受けた力辛くも危機を脱します。
慶長二年(一五九七)従四位下、右近衛少 将叙任。
かねてより徳川家康と親しく、慶長四年、長女五郎八姫と家康六男松平忠輝の婚儀が成り、完全に徳川氏摩下に属しました。